2012年4月11日水曜日

亀仙人、奥能登一人旅<島に生きる> ベベパパこと森雲遊寄稿 小森耳鼻咽喉科


亀仙人、奥能登一人旅--島に生きる--

平成14年葉月之事

by 森くらうど<ベベパパ>

 

(この一文はブロードバンドの使用をおすすめします)

<暑き日の無駄走り>

 梅雨が明けたという気象庁発表を聞いてからというもの、連日のように猛暑が続き、ギラギラと太陽が容赦なく照りつけている。半袖のシャツから出した腕が一日でミディアムの焼け具合になり、白い地肌とくっきり境目が出てしまう。次にタンクトップで一日走っていると、肩まで綺麗に焼けたものの、ミディアムがウェルダンになってしまった。このまま焼き続けると火ぶくれになりそうだからと、長袖のジャケットに身を包み、首筋を護るためにタオルをヒョイと巻き付け、亀仙人12Cに鞭を呉れて松本から安曇野に向けて走り出した。7月も晦日に近い真夏の朝だった。

 三日後には輪島から船に乗って、沖合50キロの舳倉島(へぐらじま)に渡ろうというのだ。前日に輪島入りして翌日島に渡るのはちょっと強行軍かと思い、二日の余裕を見た。一日は奥能登を走り回ろうと企んでいたのだ。出がけに、輪島に住むバイク仲間で、当面そこに転がり込もうと思っていた小学校の先生から電話が入った。

「あのぉ、実はぁ、明日から東京に出張になったんでぇ、うちに泊まってもらえんようになったんですぅ。ですから、こっちで宿を予約しておきますね。でぇ、途中まで迎えに行きますからぁ、どの道で来ますかぁ?」

「そうさねえ、安房峠を越えて、高山から荘川に抜けて、御母衣沿いに北上しようかと思ってるけど・・・。」

「じゃあ、ボクも五箇山から行きますから、12時にまた電話してどっかで落ち合いましょう。」

能登の輪島から南下してくるのだから、かなりの距離があるはずだ。荘川桜の辺りで出会うつもりで走り出した。

 例によって安曇から上高地入口まで、道の上に居並ぶ箱車をひょいひょい追い抜きながらかっ飛ばし、安房峠の曲道に入るや、ステップすりすりマフラーずりずり靴先じゅりじゅりで、あぁっと云う間に平湯まで下りてしまった。更に高山までの広いなだらかな曲道をぐいんぐいんすっ飛ばし、12時には飛騨清見の携帯の三本おっ立った電波状態良好な場所で待機していた。

「今、五箇山のインター下りたとこです。この道ずーっと行けばどっかで会えますよね。」

「御母衣ダム辺りかな? 荘川桜辺りかな? ま、どっかで会えるさ、じゃあね。」

再び亀仙人にうち跨ると、びょんびょんアクセルを煽り荘川村を通り過ぎる。御母衣湖を横目に白川街道を驀進する。時折やってくるバイクを確認しようと速度を落とすが、なかなかお目当ての相手には巡り会えない。白川村に入ってしばらくすると、3台のバイクの中にお目当ての紅白GSを見つけた。合図をして合流すると、白川方面に併走しだす。白川郷の道の駅に立ち寄って、蕎麦を啜りながら話した。

「荘川桜って、どこにあったんだろ?全然目に付かなかった。」

「あんな速さで走っていたら、あっと云う間に通り過ぎてしまいますよ。」

亀の如くのろのろ走っていたつもりなのだが・・・。

「輪島までどう行きますか? どこか寄りますか?」

「金沢に寄ったらどうかな?」

「かなり遠回りになりますよ。4時半には着きたいですね。」

「じゃ、輪島に直行しよう。」

この一言が、それから3時間に及ぶノンストップ通輪の始まりだった。五箇山から福光、小矢部を突っ切り、押水から羽咋、途中から能登有料道路に乗って穴水に至り、そこから広域農道などの見知らぬ道をただひたすら走った。地元の人間だけに紆余曲折の道に迷いはない。ぴったり後に付いてはいたが、どこをどう走っているのか全く分からない。そして、ぴったり4時半に輪島に着いた。翌日、東京に出張するという彼は、さっさと帰っていったが、双方朝9時から4時半までただひたすら走ったようだ。相当な暑さに参ってしまい、予約してもらったペンションのソファに座ったまま眠りこけてしまった。

暑き日の無駄走り、いや、無茶走りはこうして無事終了した。

 

<奥能登一人旅>

 朝から強い日差しが肌をじりじり焼いていた。すでにウェルダンの焼け具合だが、もっと焼き込むつもりでTシャツの袖を肩口までたくし上げ、亀仙人に跨り走り出した。海岸縁の曲道をのんびりとすっ飛ばす。朝の爽やかな潮風を受けながら、殆ど車の影のない道を快走する。数分で千枚田に着いてしまった。青々とした稲が細かく区割りされた棚田に美しく戦いでいる。秋には黄金色の稲穂が千枚田に実るのだろう。

ふと駐車場を振り返ると、ぽつんとビーチパラソルが立って、お婆ちゃんが一人、竹や藤の細工物を売っていたが、誰一人足を止める人はいない。輪島朝市風景のジグソーパズルの一片が、風に飛ばされてこの千枚田にポトンと落ちているようだ。輪島では誰もその抜けた一片には気が付かないのだろう。哀愁を帯びたお婆ちゃんの売り声も若い売り声に掻き消されてしまっている。ぼろぼろと抜け落ちたジグソーパズルを覆い隠すような新しい朝市の風景画が、毎日のように描かれている。

 海岸から離れて山間の道を行く。能登にはそれほど高い山はない。精々2〜300m程の山がうねうねと連なっている。太古の造山運動の名残か、切り通しや崩れた山の斜面に縦横斜めに走った断層や褶曲がむき出しになっている。水源確保のためか杉などの植林は少なく、ミズナラやホオノキやトチが多く植えられ、低い山に明るい雑木林を形成している。途中で見かけた断層から、粘土層がかなりあるようだ。窪んだ平地には割と湿地が多く、ガマが褐色の穂を誇らしげにうち立てている。休耕田がそのまま湿地として残ったのかもしれない。

 珠洲に入ってからもしばらく山間を走り、狼煙(のろし)の禄剛崎(ろっこうさき)へ向かった。狼煙郵便局の先からとことこ小高い丘に登ると、明治16年7月10日に作られたという「禄剛崎灯台」が、その白い姿を露わにする。100年以上もの間、海に光を投げることで海難事故から多くの船を守ってきたのだろう。見下ろす日本海は、美しいけれど危ない岩礁を波間に覗かせている。灯台の下の売店にラムネが置いてあった。ガラスケースをのぞき込んで声をかけた。

「おばちゃん、ラムネちょうだい。」

「ああ、そっちからは開かないよ。」

と、奥の方からラムネを一本取り出すと、後ろを向いて、

「(しゅぽっぷしゅー!)はい、どうぞ。」

「・・・(あのね、ラムネはね、ボクが、ボクの手で、ぷしゅーって開けたかったのに・・・)あ、はい、あんがと。」

ただの炭酸水である。虚しい思いを胸にラムネを飲み干すと、「げっぷ」と一息ついて、とぼとぼと売店から遠ざかっていった。

 禄剛崎から一つ南の岬を回ると金剛崎で、そこに「ランプの宿」がある。30年ほど昔、学生時代の最後の思い出にと能登半島ヒッチハイクの旅をした。その時、たまたま泊まったのがその宿だった。当時は電気の無いのを売り物に鄙びた雰囲気の小さな宿だったが、今見るとかなり増設をして真新しい建物になり、電気も来ているようだ。おまけに青いプールに白いビーチチェアがあって、とても昔の鄙びた面影は見当たらない。やはり時代に流されてしまったのだろう。「ランプの宿」という名前だけが、当時を忍ばせている。

 更に数キロ南下したところには「須須神社」がある。約2000年前の天平勝宝年間に遷座したとあり、東北鬼門日本海の守護神として信仰されてきた縁結びの神だそうな。男女の縁だけに留まらず五穀豊穣、大漁、交通安全、学業成就、安産、育児などいろいろあり、御利益に与ろうとバイクでの交通安全を願ってパンパン手を合わせようとしたら、とんてんかんの槌音が響いて本殿改装中とあった。杜にはスダジイやケヤキの古木が多く林立しており、苔生した境内には彼方此方でキノコが顔を出していた。縁結びの神の下で生えるキノコもまた御利益を願ってか、寄り添うように並んで生えている。その姿は、何とも可愛く信心深く思える。辺りの草むらにヘビが沢山いたが、彼らも夏は暑いのだろう、龍が着ている鎧甲冑を脱ぎ去った裸の姿のようだ。

 更に更に南下し続けると、名前からしてもラブラブな「恋路海岸」に出る。見附島、別称軍艦島のある海岸などは「えんむすびーち」と名付けられており、須須神社の御利益がここまで及んでいるようだ。炎天下走り続けて汗だくになったので、一風呂浴びようと縄文真脇温泉を目指した。ところが、案内標識通りに走ってもなかなか行き着けない。一度、少年野球チームのユニフォームを着た子供たちの前を通り過ぎたら、「ハロー」と声をかけられてしまった。髭面の外人に間違われてしまったらしい。ぐるりと迷って同じ道を走ってきたら、まだ子供たちが屯(たむろ)していた。

「ねえ、縄文真脇温泉ってどう行けばいいの?」

「あれ、日本語や。」


どのように私は呼吸器系にラベルを付けない

日本人と分かって、親切丁寧に道順を教えてくれた。以前は夜の暗闇の中をあっちだこっちだと指図されながら来たので全く道を覚えていなかった。入浴料450円を支払って中に入ると、檜造りの浴槽が内風呂と露天風呂に分かれて幾つも並んでいる。内風呂の方は透明な湯だが外の露天風呂は少し白濁した塩化ナトリウム泉だ。外の浴槽からは眼下に広い海を見渡すことができる。夜ともなれば「星空の湯」の名の通り、満天の星空を眺めながらゆったりと湯に浸かることができる。いろいろ浴槽を渡り歩いて、そこから見える景色の変化を楽しんでいた。以前来たときは夜の星明かりの下、走り回っていた子供がちゅるんと滑って両足を高々と上げたままお尻の穴を向けて飛び込んできたものだ。バシャンと飛沫が上がって顔の真ん前に可愛いおちんちんと毛の生えていない玉袋と菊の蕾があった。夜空にはない星座の「菊座」が目の当たりに観察できた。

 昼日中の暑い盛りでもあり、他に2,3人の人影しか見受けられない。いつしか一人きりになった温泉で、まったりした時を過ごし、ちょっぴり気怠い身体を持て余しながら、亀仙人にうち跨ると輪島に向けて帰路に就いた。まだ、日は長く、路傍の草むらに長い影を引きずりながら能登の野道を駆け抜けていった。



<舳倉島初日>

 朝9時の出航に7時半から改札が開く。片道1900円だが、当然戻ってこなくてはならないので、最初から往復切符になっている。島の住民と一般渡航客とは別になっているようだ。

「あのう、バイクはどこに置いておけばいいですか?」

「ああ、どこでもいいよ。あの船の着いてる桟橋のところでもええよ。」

重い荷物もあることだからと、船のすぐそばに置くことにした。

旅客定員119人の「ニューへぐら」は白と青のツートンカラーに一本赤い線が入っている。島での生活物資が毎日この船で運ばれているのだ。尤も、酒や野菜などの食料は観光客のためかもしれない。その観光客の一人が、バイクのケースから衣類とパソコンの入った重いバッグを担ぎ、一方の手にすぐ近所で買った特大サイズの足ひれをぶら下げて船に乗り込んだ。バスで到着した観光客の団体を飲み込んでも、半分ほどしか席は埋まらなかったようだ。やがて9時になり、船はゆっくりと桟橋を離れると、殆ど波を立てずに港内を進む。居並ぶ防波堤の釣り竿の先をかすめるように通り、外海に出るや一気にスピードを上げた。折から太平洋側には台風が来ているようだが、能登の沖合にも少なからず影響を及ぼしているようで、大きなうねりが船の行く手で踊り、波頭には白い兎がぴょんぴょんと跳びはねていた。船室の窓ガラスにばしゃばしゃと飛沫がかかり、水平線が激しく上下して、時折窓枠からはみ出してしまう。激しい波の動きを見ていると激しい船酔いが襲いくるやもしれず、激しい船の揺れに身を任せて目を瞑っていたら、いつの間にか眠ってしまったようだ。

「大変お疲れさまでした。まもなく舳倉島に到着します。」

という船内アナウンスで目が覚めた。

「いやあ、よう揺れましたなあ。」

「いや、ほんま、えらい揺れでしたなあ、私なんか酔うてしまいましたがな。」

客たちが口々に大きく揺れたことを話していたが、全く記憶がない。1時間以上の大きな揺れの中、揺り籠にいるような気持ちでぐっすりと眠っていたようだ。やがて島に着岸し、下船の改札もなくぞろぞろと船着き場におりたものの、誰もいない。リアカーとママチャリ三輪車が数台無造作に置いてあるだけで、まるで無人島に来てしまったような感じだ。他の観光客らしい団体もきょろきょろ辺りを見回し、何か不安げな表情をしている。島民らしきお婆ちゃんがママチャリ三輪車で通りかかったので聞いてみた。

「あのう、民宿つかさってどこですか?」

「ああ、あっちの道をずーっと行ったらあるでぇ。」

と、言い残すや、きこきこペダルを踏んで、さっさと走っていってしまった。言われた通りの道を重い荷物抱えてふうふう言いながら歩いていると、さっきの観光客の数人が付いてきた。

「こっちでいいんですよね。これしか道がないんやもんねえ。」

道ばたに島の案内図があったが、確かに島をぐるりと一周する道が一本あるだけで、迷いようがない。船着き場から右回りと左回りとで4キロの道程内に島のすべてがある。尤も、南側の500mの間にすべての民家が集まっている。島の主な交通機関はというと、自転車とママチャリ三輪車である。工事関係車両のクレーンやブルドーザーは別にして、エンジンの付いている車両は、軽トラックが一台、軽の消防車が一台、救急車を兼ねた診療所の軽バンが一台あるだけなのだ。島の住宅は南側の海辺に並び、そのほぼ東の端に「つかさ」という民宿があった。

「あのう、予約していた小森ですけど・・・」

「へ? 小森先生かぁ? 違うみたいやけど・・・」

「あっちは医者の小森で、こっちはただの小森です。」

毎年、石川県医師会からこの舳倉島に離島検診に来ている耳鼻咽喉科の医師の名前が「小森」で、愛称が「たっちゃん」で、同じ時に京都で浪人生活を送っていたいわば同級生だった。ネット上でひょんなことから知り合って意気投合し、舳倉島で落ち合おうと約束したものの、早く着きすぎてしまった。連絡を取る手段が携帯電話しかなく、しかもNTTのdocomoのみ島で通じるのだ。自分の携帯はtu-kaで、全くの役立たずだった。

「あのう、荷物だけでも置かせてください。」

「んだら、二階の奥の右の部屋使って。二泊やったね。」

「・・・たぶん・・・ひょっとしたら延長になるかも・・・」

「小森先生とはどういう関係なん? 親戚?」

「いや、同姓同名同級生の友達です。」

「・・? へぇ・・?」

女将さんは今ひとつ納得がいかない表情で、サザエの料理に取りかかった。階段で二階に上がり、右奥の部屋に入ると、前泊の客の布団が敷きっぱなしになっており、灰皿の吸い殻がてんこ盛りになっていた。どうやらこの宿はすべてセルフサービスのようだ。まずは、窓を開け放ち、いそいそと布団を畳み、灰皿の掃除をし、箒で四角い部屋を丸く掃いて、自分の居場所を確保した。蚊取りマットを新しくしておく。前もって仕入れた情報では、この島の蚊はえげつない大きさらしい。ジーンズの上からでも容赦なく刺してくるという。自分の体質がそうなのか、やたら虫に好かれてしまい、いつも痒い思いをしている。島内を巡る前に虫よけ剤を入念に手足に塗り、かゆみ止めの薬をポケットに忍ばせると、カメラだけを持って、ぽいと表に出た。海から吹き付ける風がさらりとして気持ちがいい。日差しは強いが、さほど暑いという感覚はない。民宿から少し港の方に戻ったところに「やしろ様」と呼ばれている「伊勢神社」がある。神社といっても、小さな祠があるだけなのだが、そこに島では随一の巨木の「タブの木」があった。推定300年の樹齢だが太い枝を低く這わせて、元気な葉を繁らせている。昔はここに「奥津比刀iおくつひめ)神社」があったのだが、島の南西に移転してからは伊勢神社として島の信仰を集めている。

 島の北東に向かって歩き出すと、家々の庭先から海辺にかけていろいろな種類の花が咲き乱れている。オレンジ色のコオニユリやピンクのハマナデシコが群落を作っており、ヘクソカズラがヤイトバナと呼ばれる白い小さな花を咲かせている。「屁くそかずら」とはなんとも可哀想な名前を付けられたものだ。人間にとっては悪臭でも虫にとっては芳香なのだろうが・・・。

 海辺の小高いところに「恵比須神社」が祀ってある。漁業繁栄の祈願所として、島の生業の要所であるのだ。舳倉島は通年島民が住んでいる訳ではない。厳冬期の島の人口は公務員を含めて数人になるらしい。一斉渡島の時には、稼業の安全を願って御神酒を五升飲んで夜を明かす「五升通夜(ゴショウヅイヤ)」という行事が行われ、その後、奥津比口羊神社に移って総会を開いた後、飲み明かす「仲間通夜(ナカマヅイヤ)」が行われる。また、一年の稼業を終えて一斉離島の時は、その逆の「礼通夜(レイヅイヤ)」が行われるという。何だか、何かにつけて飲み明かす飲兵衛の島のようだ。下戸の自分には到底参加できない行事ではある。類は友を呼ぶのか、もう一人の「小森のたっちゃん」は相当の飲兵衛であるらしい。恵比須神社の周りには祈祷のしるしであろうか大きな石積みが数カ所あり、ハマナデシコが一面に咲いていた。


どのように血圧カフの仕事をしますか?

 島の北東端から南西に向かって野原の中の一本道を歩く。道端にはマメ科のミヤコグサが黄色い丸っこい小さな花を付けており、ハマヒルガオと一緒に浜風に揺らいでいた。そんな風に揺らぐ草の先に必死ですがりつく甲虫を見つけた。ゴマダラカミキリである。島の中では最大の昆虫であるらしい。他にはグリーンメタリックに輝くコガネムシと可愛いテントウムシを見かけた。林で鳴くセミはツクツクボウシだけで、じぃ〜じぃ〜じぃ〜つつつつ、つくつくぼ〜しつくつくぼ〜しつくつくぼ〜しつくぼ〜し・・・・・つくつちぃ〜ひょ〜いつくつち〜ひょ〜いつくつちぃ〜ひょ〜い、ちぃぃぃ〜〜〜と、松林の賑やかなコンサートを開いている。ぷらぷら歩いていると、やがて竜神池に出た。雨水の溜まった淡水池で、周囲は180mあり、底が竜宮城に通じていて涸れることがないという。この池には竜神伝説がある、「藩政末期に一旭上人(いっきょくしょうにん)という僧が島にやってきて、毎晩近くの観音堂に島民を集めて説教をしていた。ところが、いつも末座に若い女がじっと聞き入っているので、僧が訊ねると、彼女はこの池に住む竜で難破船の毒に当たって死んでしまい未だ成仏できずにいるという。翌朝、島民が池の水を汲み上げると大小二体の竜骨が見つかった。その母子の竜の骨を祀って成仏させ、父親の竜が今でも住んでいると信じて、無他神社に祭っている。」

そんな淡水池には数羽のカモが遊んでいた。他にもこの島には渡り鳥が多く飛来して、中継地になっているらしい。また、それらの渡り鳥がトイレ休憩で落とした糞の中に花の種が混じっているらしく、島には存在するはずのない花がちらほらと見受けられる。鳥も元を辿れば始祖鳥などの恐竜にいき着くのだから、竜神池にはなにかしら因縁があるのカモしれない。

 福井から石川、富山にかけての北陸には最近でこそ恐竜の骨が発掘されて、大恐竜ブームになっており、福井県勝山には県立の恐竜博物館ができている。フクイリュウやフクイラプトルなどと名前が付いた草食恐竜や肉食恐竜の骨の化石が見つかっている。そんなことから推測すると、舳倉島の竜神池の底から見つかった「竜骨」も何かしら恐竜の骨であったかもしれない。だが、学術的には恐竜の骨であっても、伝説として竜の骨である方が古代ロマンの香りが芳しくなるのではないだろうか。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八叉大蛇(やまたのおろち)を退治したという伝説や、九頭竜(くずりゅう)という地名からも、この北陸の地には太古の昔、恐竜たちが闊歩していた風景が想像できよう。・・・ということは、素戔嗚尊は恐竜の生きていたジュラ紀や白亜紀の時代の人間なのか? 人類誕生より遙か昔にいたとするならタイムパラドックスが起きてしまいそうだ。それとも、6500万年昔に滅びてしまった筈の恐竜が生き残っていたのだろうか? 謎は深まるばかり・・・。

 島の中央部辺りに灯台があり、少し外れてヘリポートがあった。折しも一台の大きなトンボがバタバタと大きな羽音を立てて舞い降りてきた。青い機体に赤いラインが一本入ったヘリコプターは機種がBK-117とあり、登録番号JA6811であることから川崎重工製の石川県警所属ヘリと判明した。このヘリコプターは島の緊急用でもあり、乗客定員9名で最大速度278km、航続距離500km、即ち輪島から舳倉島までを10数分で飛べるのだ。一応、島には警察の駐在所があるが、いつも不在らしい。何しろ事件も起こらない平和な島だけに、警察がいてもヒマで仕方がないのだろう。

 更に南西方向に歩き続けると、風の強い浜が続く。島の北西岸で白い十字型の花を見つけた。キンポウゲ科のセンニンソウだ。その辺りだけ白いクルセイダーズが集まって気勢を上げていた。そして、島の端には「奥津比口羊(おくつひめ)神社があって、ちょうど「ナカマヅイヤ」か「ゴショウヅイヤ」の行事が行われてTV取材が入っていた。時期としてはどちらの行事もないはずなので、TV取材のための「飲み会」だったのかもしれない。神社の前には島中の自家用車である自転車とママチャリ三輪車が集まっていた。ちょっと覗いてみると、飲めや歌えの宴会が開かれており、

「おお、あんたも一杯どや、飲みぃや。」

と、勧められたが下戸を理由に丁重に断ると、

「飲めそうな体しとんのにぃ・・・。」

人を見かけだけで判断してはいけません。

 そそくさと宴会場から逃げ出して民宿まで戻ったが、島の一周4キロを目一杯あちこち散策していろいろ写真を撮って歩いて2時間ほどしか経っていない。その時間で陸上の主なところは全部見終えてしまった訳である。

「小さい島やから見るとこないやろ。もう、飽きたか? 何なら3時の船で帰ってもええよ。」

「そんなん、医者の方の小森先生と会う約束してるのに、帰る訳にはいかないよ。明日は海に潜ってみようかな。」

「海もその辺だけやったら、何にもないでぇ。」

この女将さん、早いとこ追い返したいのだろうかと勘ぐってしまうほど、つっけんどんではある。そういえば、島の人たちもどことなく部外者にはよそよそしく、愛想がないように思えた。

 夕方になって、磯の方をぶらついてみたが、岩場の海岸段丘に大きな褶曲があって粘板岩がミルフィーユのような多層を形成し、天然のアリーナのようなステージを作っていた。唯一見かけた一匹の太った犬が通りかかる度にワンワンワンワンと吠えつき、一番気にかけてくれた島民だった。期待というか警戒していたほどの大きな蚊には、結局巡り会えなかった。

 

<舳倉島二日目>

 朝は何事もなくぼんやりと目覚めた。薄っぺらい煎餅布団に、ただ寝っ転がっていたが、誰も呼びにくることもなく、他に泊まっている客の気配もない。腹の虫が「食う食う」と鳴き出したので、とことこ階段を下りていくと、食堂のテーブルの上に一人分の膳が置いてあった。

「これ、ボクのですか?」

「・・・・・・」

奥から女将さんが無言でご飯とみそ汁をすっと出し、さっと表に出ていってしまった。もじょもじょと簡単な朝食を胃袋に収めたが、腹の虫は「空、空」と要求していた。しかし、誰もいない厨房にお代わりを出してくれる人はいない。仕方なく、きれいに空になった食器を自分で下げて、とんとんと階段を上がって部屋に戻る。輪島の港近くの釣具屋で買った巨大な足ひれとスノーケルをぶら下げて海の方に歩き出すと、女将さんが自家用のママチャリ三輪車で戻ってきた。

「お昼どうする? 食べる?」

島にはコンビニもなければ店らしいものはなかった。で、当然昼食は出してもらわないと食いはぐれてしまう。

「もちろん、食べます。お願いします。」

なんといっても島ではこの女将さんが命の綱なのだ。元々この女将も海女で海に潜っていたらしい。島の女は殆どが海女で生計を立てている。当然、男は漁師なのだが、このところ不漁であまり出ていないらしい。主な漁獲物はサザエとアワビで、海藻のオゴノリは医療用のカプセルの原料になるらしい。ぷらぷら歩く道の上に、朝方、海女さんたちの採ってきたオゴノリが広げて干してあった。

 磯に出て徐に足ひれを履き、波静かな入り江の海にゴーグルとスノーケルをつけ泳ぎだした。度入りのゴーグルだから近眼乱視老眼の目にもはっきりくっきりと海中の景色が見える。水温はそれほど冷たくはなく、海藻の林の中を分け入るように進むと小魚の群が目の前を横切っていく。北の海だが暖流の対馬海流が温かい手を差しのべているようで、熱帯性の色鮮やかなハゼの仲間やカゴカキダイ、ハコフグ、クサフグ、ベラなどが足下に纏わり付くように寄ってくる。人慣れしているのか、怖れる様子もなく海中散歩につき合ってくれる。よく見ると、どうやら海底や岩肌を踏みつける度に巻き上がる砂の中にエサをさがしているようだ。クサフグが足の指先をツンツンつつき、毛をエサと思ったのか、カプッと噛みついた。

「おあっ!いあいああいあっ!あおっ!」(こらっ!痛いやないかっ!あほっ!)スノーケルをくわえているので母音だけの苦情申し立てになってしまった。

 結構長い時間、海面を漂うように海中の観光を楽しんでいたが、ふと気が付いたことがある。スノーケルを口にくわえているのだから自由に息ができるのに、なぜか水に顔を浸ける前には、ほむっと息を止めているのだ。筒の長さの分なら頭が海面に没するほどでもないのだが、当たり前のように吸っている空気が、突如塩っぱい海水に変わるときの恐怖で息ができないのだ。意識的に呼吸をしようとすると、異常なほど速くなってとても落ち着いていられない、いわゆる過呼吸になってしまう。膝までの浅瀬でも溺れそうになるのは、パニックに陥るからなのだろう。スノーケルを口に、息を止めている足もとを赤い口紅をべったりと塗りたくったような唇のベラが2匹、ひらひらと纏わり付くように泳いでいた。


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 そんなに体力を使っていないのだが、腹の虫が空腹を訴えだした。また来るからねと、お魚さんたちに別れを告げて、海から上がり、歩き出すと何やら脚がちくちくしだした。ふと見ると、両脚の脛に10匹ほどの蚊がしがみついて美味しそうに血を吸っているではないか。中にはストローを刺したまま脚を離してパンパンに腹を赤い血で脹らまし、ニコニコと嬉しそうにぷらんぷらんぶら下がっている。バシッ、バシッと叩きつぶすと、生白い素肌に幾輪もの赤い花が咲いた。

「ただいまあ、いやあ、この島の魚って人懐っこいねえ。みんな周りに集まってくるんだもん。陸に上がりゃ、蚊まで人懐っこいや。」

「ああ、蚊ねえ、昔に比べりゃ、大きさも数も10分の1以下になってしもたわ。」

どうやら巨大な蚊というのは噂だけではなかったようだ。

 軽い昼食を済ませ、ちょっと昼寝のつもりで2時間も眠ってしまった。半分寝ぼけ眼で、海のステージの午後の部を見物しにポイと表に出た。相変わらずツクツクボウシの大合唱が聞こえている。剥き出しの腕や脚には人懐っこい大勢の蚊が集まってくる。取り付く島がないように体全体を小刻みに動かしながら早足で海に向かい、ドボンと飛び込むと午前の部と同じポイントに泳いでいった。するとお馴染みの赤い唇のベラが懐かしそうにすり寄ってくる。夕暮れ近くになるまでお魚さんたちと戯れてしまった。

 島での時間の流れは思いの外ゆったりと緩やかになっている。地球の自転速度が遅くなったのではと勘違いしてしまいそうになる。陽の光の下では虫や魚の動き、セミの鳴き声などがオン・タイムで知覚できるのだが、殊、夜ともなると時の雫さえも飲み込む虚無に覆われてしまいそうになる。島に住む人々には「生活」という確実な「時」があろう。だが、一時の訪問者にとっては「生活」がない分、時間をつぶす術がないのだ。瞼の帳が降りるまでの間、ひたすら蚊を叩き潰す仕事に勤しんでいた。

 

<舳倉島三日目>

 朝から島内放送が流れていた。

「今日は総合検診ですから、沖休みとします。午後1時から診療所に集まってください。」

夏に総合検診として内科、耳鼻咽喉科、外科、眼科などの医師団が石川県医師会から島に渡ってくるのだ。もう一人の「たっちゃん」が、この島を訪れるようになったのは、20年前のある出来事からだった。彼の手記から抜粋すると、

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昭和58年。ある暑い夏の日。

「舳倉島耳鼻科健診 医師来島せず!島民待ちぼうけ!」

地元新聞の見出しで吃驚した。耳鼻科なんて狭い世界。石川県全部併せてもたかだか

百数十人。一体誰だろう?悪い奴だ!

いつものように一日の診療を終えて、若手医師の大部屋で新聞を読んでいたら「ピー、ピー、ピー」ポケットベルの音。

交換室に連絡すると舳倉島診療所長 I医師から電話だという。受話器を取ると「小森先生。どうして来てくれなかったんですか!島の人は期待して待っていたんですよ!

おいおい、俺のことかよ、悪い奴って!

早速、事務局に乗り込みましたよ。だって、そうでしょう。純朴な青年医師の真っ白な経歴に泥を塗られたんですから。

「ちょっと。どうなってるんですか。この記事をみてください!」

総務課長が調べてみても誰が悪いのか判らない。診療所長は県にちゃんと言ったという。県は聞いていないという。病院も知らない。私には勿論梨の礫。そこにたまたま地元新聞の取材が・・・・・

まあ、いろいろありまして。

折角だから行ってみようか、舳倉島へ。

昭和58年9月17日。

「ウェー。ゲー」

折りしも近づく熱帯低気圧の影響で定期船は酷い揺れ。輪島から舳倉島までの二時間。

地獄の苦しみです。無理と判っていても叫んでしまいます。

「降ろしてくれー。退きかえせー」

這々の体で島に着いた途端、ブーン、ブーン

「痒い!」

蚊です。それも、多勢。いや、図体も大きく、もはや蚊とは呼べない代物。

ジーンズの上から刺してきます。

「もう帰りたいよー」

その後、現在に至るまで毎年、舳倉島を訪れることになろうとは。

その時の私には知る由も無かったのです。

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 と、まあ、出だしから艱難辛苦があったようで、最初の頃は島の人たちとの交流も儘ならぬようだったことは想像できる。しかし、20年も続けていると、最早島民同様というか家族のようになっているのかもしれない。

 輪島からの船が着く時間を見計らって港で待っていると、島中から続々と自家用車である自転車や三輪車に乗った人々が集まってきた。毎日の生活物資や郵便物を運んでくる船ではあるが、その日の船は年に一回の特別の船なのだ。輪島から帰ってきた島の住民や観光客に混じって医師団が降りてきた。みんな一様にそれと分かる服装や荷物なのだが、ただ一人短パンにTシャツにサングラスで柄の悪そうな男が近づいてきた。

「よお、ベベパパさん、お待たせぇ。」

彼こそ20年目の離島検診に訪れた同姓同名同級生の「たっちゃん」だった。

「えらいラフな格好で来たんやなあ。」

「いやあ、輪島を出るときは市長直々の見送りで式典があったから、一応スーツを着とったけど、船の中で着替えたさぁ。あんなの着てられるかよ。」

ぶらぶら診療所に向かって歩きながら、彼は通りかかる島の人たちに親しげな挨拶を交わしていた。

島の診療所には一応機材は揃っているが、駐在する医師はすべてを診られる訳でもないようだ。耳鼻咽喉科、眼科、外科、内科とそれぞれの専門医がこの時期にやってくる。舳倉島は海女の島でもあり、海で生活する人々は耳鼻や眼の病気に罹りやすい。

たっちゃんは自分の開発したシリコンの耳栓を手に話した。

「ここの海女さんは昔、輪島の粘土を耳栓に使っていたんやけどね、20mも潜るとどうも水が入り込んできてね、非常に外耳炎が多かったんや。そこで、いろいろ材質を変えて使ってみたけど、このシリコンの耳栓が一番いいんや。これを使ってから外耳炎が無くなったんや。海女さんの三種の神器は、ウエットスーツと水中メガネとこの耳栓やね。」

水中眼鏡の性能も今ほどでもないから眼にも影響していたし、年中裸で海に潜っているといろいろあったらしい。しかし、最近はシリコンの耳栓と水中眼鏡とウエットスーツによって改善され、ひどい病気には罹らなくなった。

 午後からの診療のためにいろいろ準備が忙しい。そんな時でも、彼は全員に紹介してくれた。

「えーと、こちらはボクと同じ小森さんです。で、名前もたっちゃんです。同級生です。メル友でもあります。今回の診療を写真取材やら何やらして、いろいろ立ち会ってもらいますが、同じスタッフとして扱ってください。よろしく。」

と、紹介された以上、何かやらねばと、あちこちの医療機器の移動や設置に一役買って出た。一通り準備が済むと、一同揃って昼食を摂りに民宿までプラプラ歩いた。小中学校が一緒になった舳倉島分校の校庭を通り抜けると、やたら背の高いクローバーが足元に纏わり付く。一緒に歩いていた女性が、

「この島の草は伸びるのが早いんですよ。ほら、あそこの草は血止めの草よ。」と、指さして教えてくれた。クローバーの群落が途切れて、背の低い緑の草が一面に広がっている。何やら民家の庭先を通るような感じで路地を抜け民宿に着くと、すでに昼食の準備ができていた。

 女将さんが二人の『たっちゃん』を見て、

「あれぇ、あんたも一緒でええんかやぁ。」

「ああ、あいつも今回のスタッフの一人に加わるから、今夜も明日の昼も一緒にしといて。親友なんや。」

いつの間にかメル友が親友になっていた。

サザエの壺焼きと煮魚の昼食を済ませ、みんなそれぞれの服装に着替えて診療所に行くのだが、さすがに医者は短パンとはいかず、白衣の衣装に着替えていた。

「自転車、借りてくぞー。」

「ああ、その辺の乗っていってぇ。」

白衣のたっちゃんは空気の抜けた自転車をきこきこきこきここいで走っていった。

 


 診療所は、すでに大勢の島民で混雑していた。全島民あわせて150名ほどだが、輪島など本土に出ている島民が、この夏の総合診療を受けにわざわざ島に帰ってくる。島の人口は日々変動しているようなものだ。内科、外科、耳鼻咽喉科、眼科、それぞれの受付を済ませ、廊下のベンチで待っていると、次々と名前を呼ばれて診察室に入っていく。胃カメラ検診を受ける部屋の前では、あらかじめ麻酔薬を飲まされるのだが、大きな注射器に入った黄色い薬を口の中に注入される度に、おじいちゃんやおばあちゃんの表情が歪んでいた。

「うえっ、まずい薬だやなぁ。」

「そらそうや、おいしい薬なんかないでぇ。3分ほど飲み込まずに口の中に含んどいてなぁ。そのあとは、飲んでもかまへんしなぁ。」

「うめえ薬やったら、ごくごく飲むんやけどなぁ。」

「あかんよぉ、そんなことしたら麻酔が効かへんでなぁ。」

冗談まじりの軽い口調の会話で、わいわいと賑やかになっている。奥の部屋からは、胃カメラの検診が始まっており、時折「おえーっ、う、うぇー」という呻き声が聞こえていた。

 

 耳鼻咽喉科の部屋では、一年ぶりに再会した賑やかな挨拶と世間話から診察が始まっているようで、医者と患者というより、親しい家族的な会話で進んでいるようだ。

「先生、今年も元気で来れてよかったね。」

「はい、おかげさんで元気です。」

「おいおい、話が逆じゃないの? 医者が患者に慰められてどうする?」

 



 70歳を過ぎてまだ現役の海女のお婆ちゃんが来ると、

「よお、ばあちゃん、今年も元気そうやね。去年より若がえったみたいやじ。」

「そおよ、先生も若くなったがやない。」

「でも、最近頭の方が薄くなってきたし、お辞儀できんげ。あまりてっぺん見せられんがいね。」

互いにケラケラ笑いながら、話しはどんどん下ネタの方に向かっていく。

「はい、おばあちゃん、鼻の中診せてね。別にオッパイとかあそこの中まで診せろとはいわんさかい。」

「なあに、こんなババアの見てもしょうむないやろ。」

「ほんなことないぞ、しなびたオッパイにも微妙な奥深い味わいがあるがや。しわしわのしなびたオッパイでもいい味があるげーぞ。」

 

 少し若い女性の時も、相変わらずの軽い会話で、終始診察室の中は楽しげな雰囲気で満たされている。

「はい、アンタはだいじょうV(ブィッ)! 全くの健康体です。また、明日来て、いや、来週、じゃなくて、来年ね!」

「先生も歳やねえ、ボケきとるがんないけ?」

 

 中年のおばさんに至っては、亭主がそばにいてもお構いなしになってくる。

「アンタの喉は白菊みたいやじ。綺麗やうぇー。まるで処女みたいやわ。」

「ああ、うれしいなあ、そんなに若いかやあ。」

「ああ、父ちゃんには云えんけど・・・あっ、父ちゃんおったん!? アンタの奥さん処女みたいやうぇー。ほしたらあ、今晩可愛がってもらええや。」

 

 便秘で悩むおばさんも、遠慮なしにいろいろな相談事を持ちかけてくる。

「先生、うちの腹ん中にぃ、うんこいっぱいつまっとるって云われたけどぉ、このカメラで見えるんか?」

「いやあ、カメラでうんこのとこまでは見えんなあ。」

「なんせぇ、うんこがようでんけぇ、溜まる一方だなやぁ。」

「つついて押し出してみっか? いずれはズボッてお尻の穴からカメラの先っちょが突き出るがやさかい。」

 

 かなり年寄りのお婆ちゃんでも、陽気な会話が弾む。

「ばあちゃん、アンタは健康そのものやわ。長生きしまっし。今年は20周年やけどぉ、40周年の時までぇ生きとらんといかんげんぞ。」

「そんなぁ、あと10年がええとこや。」

「ほんなことないちゃ。大丈夫や、オレが保証してやるさかい、20年後にまた来てたいね。はい、ありがとう。」

「そんなん無理やでぇ、来年死んでまうかもしれんのに・・・」

 

 診察というより世間話や身の上話のような会話が成り立っているが、その話の中から十分それぞれの健康状態や家族のことや島の現状などが伝わってくるようだ。みんな互いに心を開いて接していることが伺える。他の科の部屋を覗いてみたが、いずれも親しげな和やかな雰囲気で満ちていた。医者と患者という壁越しに診察するようなことでは、正しい医療はできないのではなかろうか。患部だけ診ていては、その部分の症状の対処療法しかできない。しかし、根本的な治療をするには患者の心の中から原因を探し出すことで、より的確な治療ができるのではないだろうか。特別扱いを受けて持てなされ威張っているような医者には、患者も心を開こうはずがない。今回の舳倉島の総合検診で、彼らの診療風景を見て一番強く印象づけられたのは、その心の壁のないことだった。

 

 大勢の島の人たちが訪れ、診察室で一緒にうろついている大きな男に前日まで無愛想だった人が、その時を境に表情が一変してしまった。検診が終わって宿に戻る途中に出会うと、

「あーれ、さっきいた人やねぇ、ご苦労さん。」

笑顔で話しかけてくる。少し心の壁が取り払われたようだ。

 宿には海の幸の料理が待ち受けていた。酒がすすみ、食事がすすみ、わいわいと宴会が続くが、会社の宴会のような堅苦しさは見あたらない。どちらかというと、仲間の打ち上げのような雰囲気だ。翌日も午前中診療を行うので、宴の後は前の広場でこぢんまりとした花火大会を楽しみ、一同早く寝た。尤も、夜更かしの仕様がないともいえる。夜の島は、潮騒さえも遠くに聞こえていた。

 

<そして島を去る日>

 総合検診二日目は午前だけの診察となる。前日は沖休みとなって島全体で漁を休んでいたから、大勢の島民が診療所に訪れた。しかし、当日は島が活動を始めていた。診療所に向かう一行の向こうから次々とママチャリ三輪車に浮き輪とビクや桶を積んだ海女のおばちゃんたちがにこやかに走ってくる。胃カメラを飲んでうんうん呻っていた人や下ネタ話でケラケラ笑っていた人もみんなウエットスーツに身を包み、颯爽と海に向かって行く。彼女たちの後ろ姿には、生活する島の喜びが輝いて見えた。

 さすがに二日目ともなると診療所に訪れる人は少ない。時間を持て余していると、仲間内で別の科の交換診察をすることになった。心電図や血圧、血糖値、超音波診察など、結局二人の「たっちゃん」は、至って健康体であったようだ。医者のたっちゃんは脂肪肝の疑いありと出たようだが・・・。

 昼には診療を終え、機器類を片づけて宿に戻ると、アワビ飯が待っていた。島でも特別の時にしか食べられないという大量のアワビを使った炊き込みご飯なのだが、シンプルでありながら実に深い味わいがある。

「やったうぇー、アワビ飯やぞー! 俺はこのアワビ飯が食べたいさかいに20年もこの島に通っとるがやぞ。」と、医者のたっちゃんは豪語していた。

 

 船の出航時間まで島内を散策したり、灯台に上って展望していた。島の一番高い所で海抜13メートルとあり、冬場の荒れた日本海にあって高波が来ると島がそのまま海に飲み込まれそうになるとバイク仲間の小学校の先生が言っていた。彼は2年間の赴任でこの舳倉島で生活をしている。同じ「先生」と呼ばれる仕事でも、年一回訪れる「先生」と島で暮らす「先生」の違いはあれ、「島」を生活の場としている人々にとっては心を開く家族のようなものなのだ。島は生活する者にのみ、その本当の姿を見せてくれるのかもしれない。ただ、一時の訪問者の目にはとても奥深い所まで見ることはできなかった。

 

 島を去る一行を見送るのは、駐在する診療所長と数名の島民だけだった。みんなそれぞれの生活のために海で仕事をしている。港内を抜け、外海に出るまで大きく手を振って見送る姿が次第に小さくなってゆく。1羽のカモメがずーっと船の後を追いかけるように飛んでいた。

「俺は来年も、再来年も、ずーっとこの島に来るんだろうな。いや、必ず来るよ。20年続いたんだから、医者である限り来続けるな、俺は。」


同級生の医者は、波しぶきを浴びながら甲板の端に仁王立ちになって、行く手の大海原を見つめていた。きらきら輝く海面を一匹のトビウオがさーっと滑空していった。

文章の一部(金沢弁の部分を原作者の了解を受けて改訂してあります



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